骨の記憶 楡周平
30年近く前に「Cの副音」を読んだことがある。朝倉恭介シリーズの作者。
戦後の貧しい岩手の田舎町で育った少年の一生の物語。
主人公は、とても貧しい家庭に生まれる。仲良く遊んでいる友人はその地域一帯を土地や山林を所有する大金持ちの子息。
幼いころは家庭の違いなど関係なく仲良くしていたが、成長し進学や将来の選択をしなくてはならいない頃になると、否が応でも身分の違いを痛感することが増え、嫉妬や憧れ、憎しみなどの感情が芽生えてくる。
そんな中、二人て遊んでいたときに事故が発生し、同級生の女友達の父親でもある中学校の先生の死に関わることになった。
二人しか知らない真実を抱えたまま、主人公は進学することなどできず集団就職で東京へ。友人は近県の街へ進学し縁が切れることになる。
東京ではラーメン店で働き、苦労するが、ある事件をきっかけに別人の人生を歩むことになり、そのことが彼の人生を大きく、裕福に変えていき、大きな財を成すことに。
しかし、心からの幸せを手にいれることはできず、復讐を達成してこの世を去ることに。
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僕の生まれもとても田舎。家の前には田んぼが広がり、トイレはぽっとん便所。
その頃の学校の各学年の人数は20人程度の田舎の。その中でも僕のうちは裕福な家庭ではなく、平均よりは貧乏であると子供ながらにわかっていたと思う。
中学生にあがった際に各家庭で自転車を買うのだが、クラスメイト達はステンレス製の軽くてカッコいい最新式。しかし僕のは少し重さのある、2ランク位下の似たような自転車。いいなー、と羨ましく思ったことは記憶に刻まれている。
もちろん家は他の家に比べて貧しいから親にそれ以上のものをねだったりはしなかった。服などもめったに買うことはなく、都会に住んでいる親戚のおさがりをもらって喜んでいた。
しかし、子供心にも貧乏で苦しかった、という気持ちは無い。
たしかにその当時の平均的な家庭に比べれば貧乏ではあったのだが、足ることを知れ、ではないが特に貧乏でつらかったということはなかった。
親も贅沢をすることは皆無で、父は鉄工所に勤め、母はパートで縫製工場などに勤め、家にいるときはいるときで起きてから寝るまで家事をひとときも休まずにこなしていた。