45歳から始める英会話とプログラミングの行く末。

もう45歳になってしまいました。が、前から身につけたい!と思っていた英会話とプログラミングを取得していくために(挫折しないように)日々をつづります。

子供を抱っこする夢をみたい。

こたつでウツラウツラしてたら眠ってしまい夢をみた。

今はもう中3になる息子が、まだ2、3歳で妻に抱っこされて長い階段を下っている。息子はグズりまくり泣きまくり(笑)「パパが抱っこしようか?」と言うと息子は「パパでいっか」と(笑) 嬉しくなり抱っこして階段を転げないように左手で手すりを厳重に持ちながら下っていく。

しばらく下りて行くと目が冷めた。でも小さい息子を抱っこしている感覚が腕に残っている。こんな嬉しい夢はない。

もう二度と抱っこすることはできないだろうし「パパ抱っこ!」と甘てくることも二度とない。

でも、自分の人生で息子がおり、抱っこできたことは何にも増して代えがたい喜びの1つだと感じた。

ありがとう。

なぜ幸せな気持ちで毎日暮らせないのか

なぜ幸せな気持ちで毎日暮らせないのか。

 

人のために生きていないからかな・・・。そう思った。

自分の利益や損得ばかり考えていて、理不尽だ、損した、騙された、やり返そう、許せない・・・そんな感情ばかりが頭の中で常にぐるぐるまわっていて、何にも集中できないのかもしれな。

自分には家族がいる。

自分がイライラして、ちょっとしたことで怒ったり、くよくよ悩んでいてもそばにいてくれる。

おれは恵まれている。

なぜすぐにそのことを忘れてしまうんだろうか。

 

いつもありがとう。いつもごめんねと言いたい。

 

便利になるのは、果たして本当にいいことなのか

人間は知的欲求がとても強い生きもので、新しいものが欲しい、知らないことを知りたいという欲を抑えることはできない。

20年ほど前にはスマホなんてなくても普通に生活していたが、今はスマホ無くしては生活できない、というくらいスマホに依存して生活している。

おそらくテレビが無い時代はテレビが無くても平気だったはず。そもそも「テレビ」なんてものが無いのだから欲しようがない。

しかしテレビを一度知ることにより、欲しくなり、手に入れれば手放せなくなり。

 

人間は「多すぎる知」を得ることによって、はたして本当に幸せになっているのだろうか。

 

今はコロナ渦で海外にいくことはできないが、2年位前まで年5回くらい東南アジアを短期で旅行していた。前日の夜に成田空港近くで車中泊し、早朝便で出発すれば、例えばフィリピンなどは午前10時頃には到着し、2日後の午後便で帰国すれば翌日から普通に仕事ができる。たった3日で海外を満喫できる。これは空港便が安くなり、便数も増えることによってこのような旅行の仕方ができるので、とても便利である。

さらにスマホもあるので、片言英語でもなんとかなるし何とかペイで決済も可能。GrabやUbarなどで、会話を一言もせずに移動することができる。

でも、これではなにか物足りない。

 

天上の葦 太田愛

渋谷のスクランブル交差点で、老人が空を指さしたまま絶命するという事件が起こった。

3人の主人公たちはある代議士の代理人に、絶命した老人が何を指さしていたのかの調査を依頼される。三人のうち二人は探偵で一人は警察官。

 

 

 

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メディアの危険性

何が危険かというと、メディアで語られることが決して真実ばかりではないということ。多くの報道機関が同じことを報道しているからといって、それは真実ではないこともある。真実ではないというより、必要で一番知らなければいけないことを報道しない、ということではないか。


平均を外れる意見を言っている人や、裕福、有名な人が少しでも平均的な倫理観を超えてしまうと、言葉尻をとらえたり、発言の一部のみや行動の一部のみの切り取り批判し、挙句の果てに謝罪を求める。特にインターネットで個々の意見を言えるような仕組みができてからはひどい状況だと思う。

 

 

 

 

 

 

骨の記憶 楡周平

30年近く前に「Cの副音」を読んだことがある。朝倉恭介シリーズの作者。

 

戦後の貧しい岩手の田舎町で育った少年の一生の物語。

主人公は、とても貧しい家庭に生まれる。仲良く遊んでいる友人はその地域一帯を土地や山林を所有する大金持ちの子息。

幼いころは家庭の違いなど関係なく仲良くしていたが、成長し進学や将来の選択をしなくてはならいない頃になると、否が応でも身分の違いを痛感することが増え、嫉妬や憧れ、憎しみなどの感情が芽生えてくる。

そんな中、二人て遊んでいたときに事故が発生し、同級生の女友達の父親でもある中学校の先生の死に関わることになった。

二人しか知らない真実を抱えたまま、主人公は進学することなどできず集団就職で東京へ。友人は近県の街へ進学し縁が切れることになる。

東京ではラーメン店で働き、苦労するが、ある事件をきっかけに別人の人生を歩むことになり、そのことが彼の人生を大きく、裕福に変えていき、大きな財を成すことに。

しかし、心からの幸せを手にいれることはできず、復讐を達成してこの世を去ることに。

 

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僕の生まれもとても田舎。家の前には田んぼが広がり、トイレはぽっとん便所。

その頃の学校の各学年の人数は20人程度の田舎の。その中でも僕のうちは裕福な家庭ではなく、平均よりは貧乏であると子供ながらにわかっていたと思う。

中学生にあがった際に各家庭で自転車を買うのだが、クラスメイト達はステンレス製の軽くてカッコいい最新式。しかし僕のは少し重さのある、2ランク位下の似たような自転車。いいなー、と羨ましく思ったことは記憶に刻まれている。

もちろん家は他の家に比べて貧しいから親にそれ以上のものをねだったりはしなかった。服などもめったに買うことはなく、都会に住んでいる親戚のおさがりをもらって喜んでいた。

しかし、子供心にも貧乏で苦しかった、という気持ちは無い。

たしかにその当時の平均的な家庭に比べれば貧乏ではあったのだが、足ることを知れ、ではないが特に貧乏でつらかったということはなかった。

親も贅沢をすることは皆無で、父は鉄工所に勤め、母はパートで縫製工場などに勤め、家にいるときはいるときで起きてから寝るまで家事をひとときも休まずにこなしていた。

 

 

 

 

自転車が2台ともパンク

所有している折り畳み自転車が2台ともパンク( ノД`)シクシク…

 

1台はホームセンターで購入した白いもの。ハンドルが湾曲していて乗りやすい。変速装置も付いていて結構スピードが出ているお気に入り。

なのに、しばらく自転車自体に乗っていなかったので倉庫で埃をかぶっていたが、1年以上ほぼまともに仕事をしていなく、体も明らかに太ってきた!ので運動もかねてまた乗ってみようかなと。

倉庫から取り出した際、前輪後輪とももちろん空気が抜けていた状態。英バルブなので普通の空気入れで入れてみるとすぐに空気が抜ける。これは虫ゴムだと思い見てみると穴が空いている。さっそくホームセンターで安い虫ゴムを購入し付け替えてみると、空気が抜けなくなった!
しかし、翌日には後輪だけ空気が抜けている。やっぱパンクか。

ギアがあるのでメンドクサイが後輪を外し、空気を入れ、チューブを水につけて穴の開いた箇所を調べるものの空気が出てこない。輪になっているチューブをもう一周してみても見つからない。さらにもう一周すると空気の丸い気泡のようなのがわずかにあり、気泡を潰してもまた気泡ができる。ここだなと思いパンク用シールで補修。

これで大丈夫だと思いきや、二日後にまた空気が抜けている。。。。うーーん。

ネットで「自転車 パンク 見つからない」のキーワードで探すと、皆さんチューブを交換したほうが良いという意見が多し。しょうがない、後で買いに行こう。

ということで、もう一台のternの高級折り畳み自転車もパンクしているのでそちらにとりかかる。たしか半年前も前輪がパンクしたよな。

ternの自転車は簡単にタイヤが外せるフック式。しかも前輪なので外すのも着けるのも楽。チューブを外してみると、以前パンクした箇所のシールがはがれて音がするくらい空気が抜けとる! えっ、パンク修理のシールってたかが半年ではげるの!? それとも前回の修理がへたくそだったのか? 何はともあれシールを付け替え、何のためチューブに空気を入れ他の箇所がパンクしていないか調べたが、大丈夫なようだ。

ternが直ったのでまだ午後3時だからternで自転車屋にチューブを買いにいくが、なんと途中でパンク再発!! リュックに入れたいた携帯用空気入れで空気を入れ、ごまかしごまかし帰ろうと思ったが、今度はいくらも走らないうちに全部空気が抜けた( ノД`)シクシク… 歩いて帰りました。 明日自転車屋に行こう。。。